川越に"ゲストハウスちゃぶだい"つくります

ちゃぶだいの母・エビスダニが、小江戸川越でゲストハウス開業に挑戦~開業後のあれこれを書いています。一級建築士の田中さんと、番頭にっしーと、スタッフのみんなと一緒に頑張っているところ。

2022.10.27

こんにちは、エビスダニです。

11月4日でちゃぶだいは4周年を迎えます。

開業して半分以上がコロナ禍という状況で、ここまでやってこれたのは色んな形で関わってくれている皆様のおかげです。

本当に本当に、ありがとうございます。

2018年11月4日お披露目会

 

そして、ひとつご報告です。

4周年をもって私はちゃぶだい共同代表ではなくなります。

一部の業務は引き続き担当するので完全にいなくなる訳ではないのですが、基本的にカフェに立ったり宿直をしたりすることはなくなり、外から関わっていくことになります。

この決断に至るまで、様々な面での変化や試行錯誤がありました。

長くなりますが、そんなことを書くのでもし興味があれば読んでみてください。

 

一番大きなきっかけはやっぱり子供ができた、家族ができたこと。 

ゲストハウスがやりたい、というのは私の夢でした。

たくさん旅をして色んな宿に泊まって、自分でできたら楽しいだろうなという気持ちがいつまでたっても忘れられなかった。

でもその思い描いていた場所に家族の姿はなくて。

実際にゲストハウスが動き出して、妊娠が発覚して、何が正解かなんてわからないし、やれるところまでやってみようと思いました。

私は後先考えない(考えられない)タイプなので、やってみて無理だったらその時にまた考えようと。

お披露目会の日 まだ3ヶ月だった息子



私は、自分の場が持てたらそこにどっしりといて、来てくれる一人ひとりと向き合いたいと思っていました。

だけど実際には、調理もできない、乳幼児連れ(7カ月までは子連れ出勤していた)の私が常にカフェにいることもできず、毎日宿直することもできず、早い段階で自分の知らないところで広がっていくつながりが把握できなくなりました。

それまではひとつひとつ丁寧に育ててきた我が子のようなちゃぶだいが、早くも親離れし、私の事なんて振り返りもせず一人歩きしている感覚。

そして、私は自分がちゃぶだいの看板になることを諦めました。

それを受け入れられるまでとても苦しかった。

少し落ち着きつつも結果として何か大事なところが抜け落ちてしまった感覚で、ここから「私らしさ」より「ちゃぶだいらしさ」を考えて進んでいくことになりました。

私は黒子で、縁の下の力持ちでよくて、ここで働く人や関わる人が気持ちよくいられるためにできることをしよう、それでいいんだと言い聞かせながら。

 

子供を保育園に入れる決断は早々にしました。

最初は迷いもあったし、自分の覚悟を周りに示すような意味もあったかもしれない。

だけど子連れで働く限界を感じたのが実際です。

おんぶして掃除だってできるって思ってけど、子供の頭を二段ベッドにぶつけたり、急な階段を掃除機もっておんぶで登ることに恐怖を感じたり、動き回るようになったら目が離せなくなり、仕事が全く進まないのです。

そして8月生まれの子が翌年4月に7カ月になった時から保育園に預けられました。

畑仕事



最初の頃は無我夢中だったこともあり、宿直中に搾乳をしようが、夫にワンオペさせようが、私たちは自分で始めたことを頑張っているんだから仕方ないと思っていました(夫も自分の家具工房を開業したばかりだった)。

だけど子供が大きくなるにつれて、行かないでと言われることや、なんでお母さん帰ってこないの、と家で夫に嘆いていたりすることも増え、時には仕事に出る私を外まで追いかけるので私はその手を振り払わなければならず、こんなことまでして私が今日ちゃぶだいに行く必要あるのだろうかと思うことが増えてきました。

「ちゃぶだいの戎谷」の代わりはいくらでもいます。

 

そして昨年流産があり、妊活の終了があり、この一人の子を一層大事に想うようになりました。

この場を運営するオーナーの一人として土日両方休むということはなかなかできず、そうすると家族で過ごす日がないのが現実で、未就学のこの時間にもっと一緒に過ごしたいと思うようになりました。

 

もっと時間を作る為に、親に預かってもらったり、子連れ出勤をしたり、家族で宿泊したり、色んなことを試しました。

でもどこかで誰かに余分な負担がかかってしまい、持続可能な案は見つかりませんでした。

台風の日、一家でちゃぶだいに避難中



オーナーでありつつ現場に出ないという選択肢もありますが、私的にはありません。(良いか悪いかではなく)

運営がしたいというより、そのライブ感を楽しみたい。

現場を見ずに運営をするのは何か違うなと思う。

私は、自分の目と手の届く範囲でできることを楽しんでいきたいと気がつきました。

 

このブログを最初の頃から読んでいる方がいたら覚えているかも知れませんが、「私にとっての女将とは?」という問いは初期からずっと考えていることでした。

自分が「女将」という意識ではないんだけど、「どうありたいか」というところでやっぱりたどり着いたところは「おかあさん」だったのかなって思います。

ちゃぶだいの母になりたかった。

けっこう前にある人から「えびちゃんは、いると安心させてくれる人ですね」と言われたのがとても嬉しかった。

辞めることを伝えた人の中にもそういうことを言ってくれる人がいてとても嬉しかった。

まだちゃぶだいの物件も見つかっていなかった頃、宿修行をさせてくれたシーナと一平でお世話になったえもさんに、「えもさんにとって女将とは?」という質問をしたことがあります。

言い回しは違ったかもだけど「代わりはいるけど、あなたじゃなければと言われる存在」というような答えが返ってきました。

それは忘れっぽい私がよく覚えている言葉で、私はそんな人になれているのかなーと考えることも多かったし、そうなれればと思ってた。

けれど、私はそれを諦めることにしてしまいました。

手にしたものを失う怖さはないけれど、私をちゃぶだいのおかあさんだと思ってくれている誰かがいるとしたら、その人に対しての申し訳なさはあるかな。

ゴメンね。でもみんなのことはずっと大好きだ。


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辞める、というとネガティブに捉えられがちですが、こうしてここから離れられるのは、場が育ってきたことを実感できるようになってきたから。

 

シェアハウスの入居者さんたちが、ちゃぶだいのシェアハウスなら絶対心豊かな暮らしができると信じて入居を決めてくれたり、「ここでたくさんのことを得ることがてきたことへの恩返し」と、見返りも求めず毎週お掃除に来てくれるヘルパーさんが入ってくれたり、迷った時には立ち返る「つながる・たのしむ・ひろがる」というコンセプトを「本当に体現してますよね」と言ってくれる人が増えたり。

「私の場」じゃなくて「(だいたい同じ方向を向いている)みんなの場」として育ててきたことで、ちゃぶだいは間口の広い、彩り豊かな場所になってきました。

良い場を育ててこれたから心強い仲間もできて、私は私の席をあけられるのだと思います。

「ちゃぶだい共同代表」の肩書きを無くして、ある人たちにとっては何の魅力もない人間になるかも知れないけど、あたたかく見守ってくれる人もたくさんいるので、肩書きに何の未練もありません。

私は私の新しい一歩を踏み出します。

 

そして、夫と私はこの子を育てるチームなんだと考えると、夫の家具が売れないと我が家は成り立たないんですよね。

家具が売れるためにできることがもっとありそうなのにそこまで手が伸びていないのが現実で、これからはそっちに重心を置いて、私のやりたいことをその中で展開していきたいと思っています。

息子のたくさんの「初めての〇〇」を見逃してきました。

でも、もう4歳だけどまだ4歳なので、これから出会うたくさんの「初めての〇〇」はできるだけ一緒にいられたらと思います。

ちゃぶだいの縁側で保育園用の家族写真を



まとまらない文章で長くなりました。

これまで私に、ちゃぶだいに色んな形で関わってくれた全ての皆様、本当に本当に、ありがとうございました!

このブログはこれで終わりかも知れないし、また始まるかも知れないし、別の誰かが引き継ぐかも知れないです。

未来はいつも、どうなることやら!ですが、楽しんでいきましょう!

なんとかなるさー!

 

5日の4周年イベント、私は締めくくりとして「我が子が我が子のように育てたちゃぶだいで過ごした記録」と題し、息子の写真を自作の額に収めて展示する予定です。(自分で撮った写真に限らず)

まゆゆと一緒にちゃぶの間にいますので、良かったら寄ってください。

 

私の今後の活動はinstagramで更新していきます↓

ズコウシツ(@zukoushitsu_umebachi) • Instagram写真と動画

 

日々のことはストーリーで、作品は投稿で上げていこうかなと。

もしよかったら覗いてください○

 

それでは、また、いつか、どこかで!

みんなが、それぞれいろんな形で幸せでありますように!

 

ばいちゃ!


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